先輩移住者交流会

HOME | 先輩移住者交流会

img20250917154305982398.png img20250917154305982398.png

 

先輩移住者さんのリアルな移住話を聞いてみませんか?

 

 

「移住にかかった費用は?」「誰とどんなタイミングで引っ越した?」「正直なところ移住後幸せ?」などなど気になるリアルな話を聞けます!

 
 
御浜町にはこれまで多くの方が移住されています。単身で、お子様と、ご家族で……退職を機に、子どもの育ちを考えて、人生の再スタートで……などなど。タイミングもスタイルも様々な、まさに十人十色の移住模様。1人の方とでも何人かとでも、あなたに合った先輩移住者さんをご紹介いたします!
 


 
 
 
先輩移住者
まきのさんのリアルな移住話

 御浜町の移住・定住支援団体の「ここテラス」さんから、「移住の記事を書いて、尾呂志学園の魅力を伝えて欲しい」と言われ、何も考えずに引き受けてしまった。現在そのことをとても後悔している。
 今さら気がついても遅いのだが、尾呂志学園は大好きだけれど、その魅力を伝えられるかどうかは、全くの別問題だとつくづく思う。(ここテラスさん、ごめんなさい!) こんなテキトウな私ですが、しばしお付き合いください!

牧野 佳代

 

 今年の4月から私の子どもが通っている尾呂志学園は、県内初のコミュニティ・スクールだ。誰でもいつでも授業参観が出来、地域住民が日常的に学園に出入りして、運営にも関わる。餅つきや田植え、梅シロップ作りなど、住民が先生になったりと、面白い取り組みをしている。まだ築数年しか経っていない比較的新しい木造校舎は、とてもきれいで明るい。
 なかでもいちばんの私のお気に入りは、学園内にある図書館だ。地域住民にも開放されているので、誰でも利用出来る。大きな図書館に比べたら本の数は少ないかも知れないが、それでも、おそらく地域住民のニーズにも応えた農業書や自然関係の本など、品揃えが豊富でびっくりした。もちろん、子どもの絵本や図鑑、小説などもとても充実している。季節や行事ごとに、かわいらしく装飾されている図書館は、アットホームな感じで過ごしやすい。
 「図書館を見ると、その地域の教育熱がわかる。まちが、人や文化を大事にしているかどうかをはかる、ひとつのモノサシだ」と友人が言っていたのを思い出した。初めて学園見学に訪れた時、自宅から徒歩圏内に、こんなに素敵な図書館があるところに住めたらいいなあと思った。
 なんでも、この尾呂志学園は、数年前、地域住民の運動で、統廃合の危機を小中一貫校になることで乗り越えたそうだ。移住支援の方が、区長さんを紹介してくれて、挨拶をした時に教えてくれた。
 「俺たちは上の世代から民主主義を徹底的に叩き込まれた!」と、初対面の私に、熱く、でもどこか控えめに語ってくれた区長さんとの出会いは忘れられない。わあ♡かっこいい!!!!年配で、権威や肩書がある男ほど無駄に威張っていると思っていたので、こんなことをさらっと言ってのける男性の区長さんがいるなんて!なんて素敵な地域なのだろう。私、ここに住みたい!とひとめぼれしてしまったのだった。(数年後、区長さんに当時のことを伝えた時に、「私たち下の世代にもちゃんと叩き込んでください!」と本気でお願いをしたら、大笑いされた。そして、区長さんの言葉通り、地区の総会はとても民主的で、私のように新しく引っ越してきたばかりの者でも、誰でも発言大歓迎な雰囲気だったし、総会資料の内容も充実していて、お金の流れもしっかりと明確に書かれていて、本当にすごい!すごい!の連続だった)。
 その晩、日々の育児に加え、家と仕事探しで疲れ切っている夫を捕まえて、夜な夜な興奮して、その素敵な区長さんとの出会いと、尾呂志学園について喋りまくったのは、言うまでもない。
 

 

 さて、都会から田舎へ移住しても、生活や子育ての悩みは尽きない。とにかく大変だ。なにが大変なのだかわからないけれども、親も子も、毎日とにかく必死だ。
 私の子どもには、重度の食物アレルギーと化学物質過敏症、電磁波過敏症がある。そのため、子どもが学園に入学する前から、先生たちが対策会議を開いてくれた。食物アレルギーと聞くと、「本人が気をつけて、アレルゲンを食べなければよい」と思う人がいるかも知れないが(私がそうだった)、重度となるとそう簡単ではない。例えば、隣で牛乳を飲んでいる人がくしゃみをするだけで、鼻がつまって息苦しくなったり、お菓子を食べた後、手を洗わなかったお友達と遊ぶと、痒みや鼻水で夜眠れなくなることもある。症状の出方や強さには個人差があるが、アレルゲンに触れる、吸い込むだけでも、アナフィラキシーが出て命に関わることがある。
 特に、まだ何でも口にいれてしまう赤ちゃんがアレルギーをもつ場合、親は、どこにアレルゲンがあるのかわからない不安のなかで暮らしている。息抜きに子育て支援室に行くことですら、ためらってしまう。本人が気をつけてさえいれば済むこと、ではないのだ。
 
 小学校にアレルギーをもつ児童が入学する際に、文科省から大まかなマニュアルが出されてはいるが、実際に、保護者がどのように学校に関わり、なにをどこまで先生たちにお願いできるのかが全く分からなかった。前例や事例などを、具体的に教えてくれる人も、本も、ネット情報も見当たらず、全くの手探りで学校とのやりとりが始まった。
 そんな私たち親子と入学前から一緒に伴走してくれている、先生や友人、地域の人たちに感謝しつつ、日々感じていることを伝えることで、尾呂志学園の魅力に少しでも近づけたらと思う。また、同じような境遇の人たちとつながりたい、必要な人に少しでも届くようにと願っている。
 

 

 コロナ騒動の始まりの頃、私と夫は、乳飲み子を抱えて、ドタバタと尾呂志地区に引っ越してきた。今から思えば、役場や移住支援団体が窓口を縮小したり閉鎖する寸前、ギリギリセーフで滑り込んだ。
 引っ越し当初は、以前していた仕事の延長で、ふたりで田畑をやりながらカフェをしたいと考えていた。だが、私たちが思っていた以上に子どものアレルギー強かったのと、コロナで不要不急の外出規制やら飲食店が時短営業になったりしていたので、しばらくは、夫が就職して私が育児担当になり、様子を見ることにした。
 
 以前住んでいた高知県では、有機農場「おむすび畑」を夫と経営し、全国へお米や、野菜とハーブセットの個人宅配やふるさと納税の贈り物、農産加工品の販売、オーガニックマーケットなどへのイベント出店、学生や子どもたちや、ニート・ひきこもりの人たちの農業・田舎暮らし体験などをしていた。
 その傍らで、定住支援団体「はたモジャモジャ交流会」を仲間と立ち上げ、県や市の委託を受けて、移住者交流会や田舎暮らしの知恵が学べるWS、講演会、地域の食材を使った料理教室などを開催していた。高知県と民間の共同事業「高知家移住プロジェクトKIP」(アカデミックな場で面白かった!)にも参加し、移住定住支援者向けのWSを企画したりと、いま思い出すだけでも鳥肌が立つほど、とにかく忙しかった。子どもが生まれて、働き方を見直しての移住だった。
 
 そんなこんなで、大卒の男で元教員の夫のほうが、大学中退で乳幼児を抱える女の私よりも稼げるはず!とふたりで話し合った結果、夫がとなり町の学童に就職し、学童に併設されている農場担当になる。そこで働く障がい者と一緒に、田んぼや畑作業、ヤギやポニー、鶏、豚など動物の世話をする日々。福祉業界はどこも人手不足なので、仕事は大変なこともあるのだろうけど、好きなことで比較的マイペースに働けるのか、本人はまんざらでもない様子だ。
 学童に通う子どもたちは、野山をかけめぐり、動物たちとふれあい、田畑作業の体験、アスレッチク遊び、など盛りだくさんである。ああ、私も子ども時代にこんな学童に通いたかったなあと思う。子どもたちが、豚を追いかけまわす光景なんて、他ではなかなか見られないだろう。
 
 育児担当となった私は、家事と子どもと自家用の田んぼと畑を追いかける日々がつづいている。子どもが無料保育の対象になる3歳になったら、保育所に預けるつもりだったが、コロナ禍でアレルギー対応が難しいことや、保育士不足など預かる側の限界も知り、自宅保育を選んだ。
 せっかく田舎で暮らすのだから、自然の中でのびのびと自由に過ごさせたい。マムシに遭遇したり、ムカデに刺されたり、マダニに噛まれて病院に駆け込んだり、サルに追いかけられてひやひやすることも多いけれど、毎日泥んこになり、素足でトンボや蝶を追いかけ、土や草木に触れり、暑ければ川で遊び、尾呂志の山々と優しいご近所さんに見守られながら過ごせるのは、子どものうちだけかも知れないから。
 

 

 そうは言っても、引っ越してきたばかりの頃は、知り合いも少なく、夫は新しい職場に慣れるのに必死なので、気軽に日々の悩みも相談しづらい。自分が風邪で寝込んでも、近くに子どもを見てくれる人がいないので休めず、なかなか治りきらない。子どもがアナフィラキシーを起こして救急車を呼んだりと、育児でヘトヘトになっていた。先行きの見えないコロナ騒動の不安のなかで、日々の育児とアレルギー対応に追われ、社会から孤立することへの不安も同時に抱えていた。まさしく、“孤育てまっしぐら!”だった。
 そんな時に、コミュニテイ・スクール尾呂志学園の存在ほど、大きかったものはない。学園の行事には、入学前の子どもからお年寄りまで、誰でも参加することが出来た。運動会や夕涼み会などの行事に、親子で参加した。夫にとっては、家族と職場以外の人と触れ合える、貴重な息抜きの場になったに違いない。地域に開かれている学園の図書室や校庭に行けば、先生方や生徒たちが、すぐに子どもの名前をすぐに憶えてくれて、優しく声をかけ、一緒に遊んでくれたりした。子どもは、入学する前から、自分がもう既に学園に通っていると思い込んでいた。特に、うちの子どものように、自宅保育で集団行動になじみの無い子にとっては、小学校に通うための貴重な助走期間になったと思う。前もって学園の様子がわかるので、安心したようだった。
 そんな風にして、コロナ禍でも、保育園に通っていなくても、子どもの“お友達とたくさん遊びたい!”という願いを、尾呂志学園が叶えてくれたのだ。周りから見たら“そんな些細なこと”かも知れないが、尾呂志学園があるおかげで、私たち親子は、自宅保育でも孤立せずに楽しく過ごせることが出来たのだった。
 学園での交流を通して、一気に地域の知り合いも増えて、よき子育て仲間とも出会えた。前教頭先生が、アレルギー専門の良い医師を紹介してくれたりもした。子育てや暮らしに必要な情報交換をしたりしながら、尾呂志学園に通うことを目標に、親子でずっと楽しみに過ごしてきた。そんな心の拠りどころのような尾呂志学園の存在は、子どもが入学した今もそんなには変わらない。
 子育て支援や移住支援など、暮らしに本当に必要な支援というものは、日常のちいさな関わりの積み重ねから生まれるのではないだろうか。地域に住む人々を孤立させない、そんな重要な役割を、尾呂志学園が担っているように感じている。